ポッキーから学ぶ「他人を気にする奴が損する」件
この記事では、「ポッキー」を食べようとした時、他人のことを気遣うやつが相変わらず損するということを改めて実感したので書きます。
結論、多分俺疲れてる。
最近、ポッキーを買いました。以下の記事です。
細長いビスケット生地にチョコがコーティングされたスティック状のお菓子です。このお菓子を知らない人と出会ったことがないので、恐らくみんな知っていると思います。知らなくても悪いことではないんですが。
ぽりぽり食感とチョコレートの甘い味が最高に美味しいお菓子です。かれこれ数年以上食べていなかったので、わくわくしながら開封しました。その時に、僕はがっくししましたよ。
「あぁ、これが人生なのか。やっぱりそうなのか。やっぱりそうなんだな!!!くそっ!…パクッ。ポリポリ」
果たして僕は、何に失望したのでしょうかーー。
お前、そっち向きなんかい!!
なんと、ポッキーのパッケージに対して、中のポッキーの向きが逆だったんですよ。チョコがコーティングされていない持ち手側が上にありました。買った9袋全てがそうだったので、そういう仕様だと思います。
普通なら、「あ、これ逆向きなんだ。Pocky文字が読める方向にしてから、上から開封することで、そのまま掴んで食べられるんだ。よく考えられているなぁ」と思ったでしょう。
しかし、この時の僕は、こう思いました。
「あぁ、他人を気遣って、俺が逆向きに開けたのがあほだった」
もっと詳しく書くと、ポッキーは最高に美味しくて、人を幸せにするお菓子です。そんなお菓子を作るだけでも、すごい労力なはずです。作っていただけるだけでもありがたいのに、パッケージと中身の持ち手の向きを期待するなんて、おこがましいです。
だから、最初から僕が気を遣って、逆向きから開けました。こうすることで、ポッキー様はわざわざ向きを意識せず、パッケージに沿って入れておけばいいし、僕は持ち手をつかめて、お互いウィンウィンです。僕が毎回パッケージに逆らうよう開けないといけないという手間はありますが、そんなの手間に入りません。
しかし、実際はどうでしょう。ポッキー様が気を遣って、パッケージと逆向きに入れているではありませんか。
こうなると、僕の開けるまでの思考・逆向きから開けるという気遣いが、無駄になりました。折角気遣ったのに、楽できるどころか、再度、後ろを開けて、持ち手が手前に来るようにしないといけません。二度手間でした。
そりゃ、一度そういう仕様だと理解できれば、2回目以降は、パッケージの向きと同じ方向に開けますよ。でもね…。そうじゃないんですよ…。
人生、ゴミをポイ捨てできる奴が強い
新しい人とコミュニケーションする時、今回のように、あほみたいに気遣って、空回りしたらどうでしょう。僕は耐えられないよ…。
こういった時に毎回思うことがあります。
「ゴミをポイ捨てできるやつのほうが人生楽」
これは、本当にゴミをポイ捨てしている人が良いという意味ではありません。そういうことをしても、何の罪悪感も覚えない自分勝手で、他人なんか気にしない傲慢な性格なほうが、人生楽だよなぁという意味です。
僕は、ゴミをポイ捨てどころか、一人で外出すること自体が、相当に苦痛なタイプの人間です。常に他人の視線を気にして、まともに外出できない人です。
徒歩10分の場所にある銀行にお金を振り込む時、周りの目が気になりすぎて、心臓の動機が激しくなり、汗が止まらず、泣きそうになって、あぁこれはもうだめだと思い、家に帰ったこともあります。
異常なくらい周りの目を気にしています。
そんな性格がゆえに、周りの目を気にせず、飲み終わった缶を捨てたり、たばこをポイ捨てできる人が、すごいなぁと思います。彼らは、生きづらくないんだろうな。人生楽なんだろうな。と思ってしまいます。
事実、周りの目を気にしてしまう僕は、散歩したくてもできない。買い物したくてもできない。と、人生苦労しています。別にそういう性格になりたいとは思いませんが、もし僕がゴミをポイ捨てできたら、人生どれだけ楽だったんだろうとは思います。
もちろん、これは比喩です。そういう性格を指しているのであって、ゴミをポイ捨てする行為は、どう言い訳してもダメです。そんな人とは、友達になりたくありません。
結論、ポッキーは美味しい、俺は疲れている
まさか、ポッキーをぼりぼりするのに、こんなことまで考えてしまうとは思いもしませんでした。ポッキーは一切悪くありません。めちゃくちゃ美味しくて、間違いなく僕の人生の良い傷薬になりました。
つまるところ、他人のことなんか気にせず、自分が最大限、一度限りの人生を楽しめたらいいなぁと思いました。ナポリタン寿司、そろそろ周りの目を気にせず、外出できるようになりたい。
最後、僕に一言。
「寝て休んだほうがいい」